ヤロスワフ・カチンスキ
| ヤロスワフ・カチンスキ | |
| 任期 | 2006年7月14日 – 2007年11月15日 |
|---|---|
| 元首 | レフ・カチンスキ大統領 |
| 出生 | 1949年6月18日(73歳) ファイル:ポーランド国旗.png ポーランド、ワルシャワ |
| 政党 | 法と正義 |
ヤロスワフ・アレクサンデル・カチンスキ(ポーランド語: Jarosław Aleksander Kaczyński、1949年6月18日 - )は、ポーランドの政治家。同国元首相。弟のレフと共に、一卵性双生児の政治家として知られる。
人物[編集]
学生時代は、労働者保護委員会(「連帯」の前身)で、1980年代には「連帯」で政治活動を始めた。
2001年春、弟のレフと共に、「法と正義」(PiS)を創設し、同年、議会選挙で投票数の9.5パーセントを獲得した。2003年、「法と正義」の総裁職を弟のレフと交代した。
2005年9月の議会選挙において、PiSは、投票数の27パーセントを獲得し、第一党となった。同年10月、大統領選挙において弟のレフを当選させるために、ヤロスワフは、首相の座を同じ党のカジミェシュ・マルチンキェヴィチに譲った。
2006年7月7日、マルチンキェヴィチが辞職した後、党政治委員会は、ヤロスワフを首相に推薦し、7月11日、首相に就任した。結果、首相が兄・ヤロスワフ、大統領が弟・レフという、「双子政権」が誕生した。
2007年議会選挙でヤロスワフ率いるPiSが最大野党市民プラットフォームに敗れた。この結果を受けて11月26日に市民プラットフォームの党首ドナルド・トゥスクに首相の座を譲り、双子政権は終焉を迎えた。
2010年4月10日、弟のレフの乗った政府専用機がロシア西部スモレンスクにて墜落してレフ夫妻ら政府高官多数が死去したが(ポーランド大統領専用機墜落事故)、兄のヤロスワフは同行しておらず、難を逃れている[1]。
2010年6月20日に投開票の行われた大統領選挙に出馬。下院議長で大統領代行のブロニスワフ・コモロフスキが選挙を優位に進め得票率で1位となったが41.54%にとどまり、ヤロスワフは36.46%を獲得し2位になった。過半数を獲得した者がいなかったため、選挙法の規定に従い決選投票が7月4日に行われ[2]、コモロフスキに及ばず落選した[3]。
2013年8月に行われたPiS党大会で党首に再選された[4]。
政敵トゥスクは2014年12月に欧州理事会議長(欧州連合大統領)に就任。任期満了に伴い2017年3月9日に行われた議長選挙ではベアタ・シドゥウォ首相に反対票を投じさせるなど再選阻止に動いたものの、他国に同調の動きはなくトゥスクは27対1で再選された[5]。
パーソナル[編集]
ワルシャワ出身。弟のレフより45分年長。[要出典]ワルシャワ大学法律・行政学部卒業。法学博士。独身。
学生時代、レフと一緒に、映画「月をぬすんだ双子」(1962年)に出演。
脚注[編集]
- ^ “双子の兄も現場で弔意 ポーランド機墜落” ((日本語)). 産経新聞. (2010年4月11日) 2011年1月11日閲覧。
- ^ “ポーランド大統領選、7月4日に決選投票開始” ((日本語)). 中国国際放送局 (中国国際放送局). (2010年6月22日) 2010年6月25日閲覧。
- ^ “ポーランド大統領選:野党党首の前首相が「敗北宣言” ((日本語)). 毎日新聞. (2010年7月5日) 2010年7月5日閲覧。
- ^ “[ ポーランド政治・経済・社会情勢(2013年6月27日~7月3日)]”. 在ポーランド日本大使館 (2013年7月5日). 2013年8月26日閲覧。
- ^ “EU首脳会議、トゥスク大統領再選 出身国ポーランドは反対”. ロイター (ロイター). (2017年3月9日) 2017年3月10日閲覧。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代: カジミェシュ・マルチンキェヴィチ |
第三共和政第13代:2006 - 2007 |
次代: ドナルド・トゥスク |
| 先代: ミハウ・ヤニシェフスキ (en) |
大統領事務局長 第2代:1990 - 1991 |
次代: ヤヌシュ・ジュウコフスキ (en) |
| 党職 | ||
| 先代: レフ・カチンスキ |
法と正義総裁 第2代:2002 - |
次代: (現職) |